2012年9月1日土曜日

アグネスワールド追悼 1999年アベ・ド・ロンシャン賞

8月20日、アベ・ド・ロンシャン賞、ジュライCを制したアグネスワールドが、社台スタリオンセンターで亡くなったとのこと。
 桁違いのスピードを持っていたものの、気性の悪さから、一本調子なレースしかできなかった不器用さが、かえって愛おしく感じられる馬でした。

 アベ・ド・ロンシャン賞(アベイもしくはアベイユと表記されることがありますが、正しい仏語の読み方はアベです)に挑戦すると報じられた時、いまだGI勝ちのない馬(中央GIII1勝、地方GII1勝)が海外GIに挑戦するなど無謀だと多くの人が思ったことでしょう。前年にタイキシャトルが ジャック・ル・マロワ賞を制したものの、すでに国内GI3勝を挙げていたからこそなし得たのであって、GIで連帯すらできない馬が海外の馬と勝負できる訳がないと。
 しかし森調教師はアグネスの素質が最も発揮しやすいのは1000mの、しかも直線コースだと確信し、周囲からは無謀とも思える挑戦をし、見事快挙を成し遂げました。環境の違いに対応し実力を発揮したアグネスの頑張りそのものはもちろんのこと、その馬に最も適したレースがあれば、国内外、中央地方問わず果敢に出走する森調教師の姿勢は十分賞賛に値すると思います。(森調教師はその前年1998年にもモーリス・ド・ゲスト賞をシーキングザパールで制し、日本調教馬初の欧州GI制覇を成し遂げている。)
 もしアグネスワールドがアイビスサマーダッシュに出走できていたらどんなタイムが出たんでしょう。カルストンライトオとの快速馬対決は、ありえないですが、見てみたいです。
 アグネスワールドの冥福を祈るとともに、アベ・ド・ロンシャン賞でのアグネスワールドの勇姿をご覧ください。


1999年 アベ・ド・ロンシャン賞
         (ドージマムテキも出走してたんですね。
          帯同馬としてでしょうが、すっかり忘れてました。)


 アグネスワールド 生涯成績 20戦8勝(うち地方1戦1勝 海外4戦2勝)
  父ダンジグ 母ミステリーズ 母父シアトルスルー
  半兄にヒシアケボノ(スプリンターズS)



           
   アグネス、シーキングの海外挑戦についてなど、森調教師の競馬についての考え方がこの一冊に凝集されています。競馬に興味がある方はぜひご一読ください。

                      
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